こんにちは。

五十嵐将雄(がらし)です。

 

キングダムのイベントからの学び、どんどんいきます!

 

「嬴政VS呂不韋」

39〜40巻で戦ってましたね!

 

外では、呂不韋の企むクーデターとの戦い。

中では、お互いのビジョン、信念、理念、思想の論争。

 

信の成長のストーリーのサイドで、5、6巻あたりからずっと続いていた一つのストーリーがいよいよ終わりを迎えるということで、かなり高揚感のあるシーンでしたよね!

 

先日のイベントでも、やはりこのシーンは取り上げられてました!

 

最終的には嬴政が勝って、漫画的には良かったねって感じのシーンですが、先日のイベントでファシリテーターたちが言ってたのは、

「どちらが正しいか間違ってるかとかはない」

ということ。

 

呂不韋は呂不韋なりの信念、思想で、平和な世の中を作ろうとしている。

嬴政も平和な世の中を作ろうとしているが、その道は

「戦争」「争い」を避けて通れる道ではない。

だから、見方を変えれば、嬴政の方が世の中に「混沌」を生み出そうとしているのではないか?

という捉え方もできる。

 

 

どちらが合ってるか間違ってるかはないけど、

経営者やリーダーはその組織にいる人、仲間のことを

「どのように見てるか?」

というのは非常に重要とおっしゃっていた。

 

呂不韋は、人のことを「欲に動かされている存在」

というような定義をしていて、

嬴政は、人のことを「可能性のある存在」「光」である

というような定義をしていた。

 

どうしても書き方的に嬴政の方が答えっぽくなってしまうけど、良い悪いは抜きにして。

 

確かに、コミュニケーションの本質を学んだ時も、

人は何を言われたか?何を伝えられたか?という

「現実」世界で認識できるものよりも、

相手が自分に対して「どう思ってるか?」という

「情報」世界のことの方を敏感にキャッチする

らしい。

 

「良いじゃん!」「素晴らしいよ!」とか口では言ってても

「こいつ使えねーな」とか「こいつはダメだ」とかを

脳内で思ってると、そっちのメッセージを相手はキャッチしちゃってますよ。ということ。

 

また、人は、思っている以上に他人からの影響を強く受ける生き物。

だから、相手が「期待しているような人間に近づいていく」

という性質もある。

 

そういう意味では、呂不韋も嬴政も、

人を「欲にまみれた生き物だ」と思って人と接していれば、人はそうなっていくし、

人を「光の存在だ」と思って人と接していれば、人はそうなっていく。

とも言える。

また、人は、世界を自分の見たいようにしか見えていないから、そういう「フィルター」が自分の中にあれば、相手のそういう風なところばかりが見えるようになっていく。

だから、結局その思想や信念の通りの現実が訪れるってことなんですけどね。

 

「影響力は確信のゲーム」

 

ということで、この論争は

嬴政の方が、確信が高かった。

 

という着地になったという風に個人的には解釈しております。

 

世の中も善も悪も存在しないけど、

自分が推し進めたいものがあるのであれば、

「なぜそうしたいのか?」という理念、確信を

日々高めていくために、問い続けていくことが大事だなと思わされました。

 

少し脱線しましたが、個人的な解釈もアウトプットさせていただきました!

ありがとうございます。

 

 

こういうことを真顔で言える人でありたいですね✨

 

 

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